アメリカの平均寿命が下がっているワケ
絶望死とは何か
アメリカの白人労働者階級(ホワイトワーキングクラス)が、他の地域や世界全体で平均寿命が延びる中で逆に平均寿命が短くなっているという現象が存在します。
この事実を指摘したのは、経済学者のアンガス・ディートンとアン・ケースです。
彼らは、この現象を「絶望死(Death of Despair)」と名付けました。
絶望死の主な要因としては、ドラッグの乱用、
(特に麻薬や、オピオイドと呼ばれるモルヒネやヘロインと同じ原料から作られる合成化合物で、鎮痛剤として医師から処方される薬など)、
アルコール依存症、
自殺行為(銃による自殺や首吊りなど)が挙げられます。
これらの行為は、個人が社会的な絶望感や経済的な困窮、人間関係の問題、心理的な苦痛などに直面している場合に起こることがあります。
能力主義という無意識の差別
多くのアメリカ人が、成功や成果は個人の努力によって得られるものと考える傾向があります。
また、個人を評価する際に人種や民族などの「本人にはどうしようもない部分」を考慮する事は差別である、と考えるので、
個人の努力によって得られる能力や価値を重視するようになっていきました。
社会が知識社会に移行するにつれて、仕事には高度な能力やスキルが求められるようになっていきます。
知識社会が情報や知識の価値を重視し、複雑な問題解決能力や高度な認知能力が必要な仕事が増えているので、能力や価値の高い個人が優位になる傾向があるのです。
知識社会では、個人の能力や価値に基づいて選別が行われます。
つまり、能力や価値を持つ人々が上位の社会的地位を獲得する一方で、能力や価値のない人々は下位の社会的地位に追いやられる可能性が高くなります。
これによって、社会は二極化し、上位の人々と下位の人々の生活が大きく異なることになります。高度な能力やスキルを持つ人々は経済的・社会的な成功を収める一方で、それを持たない人々は不利な立場を余儀なくされるのです。
ここで、我が事に振り返り考えてみましょう。
もし仮に教育の機会を均等に提供したとしても、すべての人が同じ結果を得ることはできるのでしょうか?
例えば、同じようにトレーニングをしても、ある人は130km/hのボールを投げることができるようになりますが、別の人には限界があります。
能力や価値に基づいて人を選別する方法は、能力のない人を差別することにならないのでしょうか?
かつては年功序列という制度が存在しました。この制度により、例えば能力が高くない年長者でも、自分の能力の範囲内で働きながら満足できる処遇を得ることができ、だからこそ日々の生活に絶望する事もなく、働く意欲も湧き、社会に貢献できてるという満足感も得る事ができたでしょう。
能力主義の社会では、能力のある人は成功し、経済的にも恵まれる一方で、能力が優れていない人はどのように対処すれば良いのでしょうか?
欧米に倣うを是とする我が国で
ホワイトワーキングクラスを襲う絶望死とは、死ぬまでドラッグやアルコールに溺れる、拳銃や首吊りをして自殺してしまう事でした。
この現象の原因は、彼らが社会的な絶望感や経済的な苦境に直面し、人間関係の問題や心理的な苦痛を抱えていることによります。
人間関係の問題や心理的な苦痛が無視され続けると、最悪の場合、精神的な病気が発症し、重大な影響を身体や心に及ぼすことになり、仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれる可能性があります。
仕事を辞めた事でおこる経済的な苦境は、個人の生活の安定や将来への希望を損ない、心理的な負荷を増大させます。このような状況が、個人の判断力に影響を及ぼし、絶望を招く原因にもなります。
日本には幾つかの社会的なサポートシステムが存在しますが、心を病んでしまうと正常な判断力を失い、これらの援助を受けるという選択肢すら思いつかない状況に陥ってしまいます。恐怖心や助けを求めることへの抵抗感が彼らを襲うのです。
例えば、さまざまな仕事を転々としていた男性が、母親のすすめで就労を諦めて引きこもりとなり、風呂場での転倒事故をきっかけに寝たきりとなってしまった母親を凍死させるという悲劇的な事件が発生しました。
<「母ちゃんごめん。冷たかっただろう、寒かっただろう」4月の朝、90歳の母は自宅で「凍死」した 同居していた62歳の息子が法廷で語った悔恨(47NEWS) – Yahoo!ニュース>
社会から孤立し、誰にも頼ることができないまま追い詰められた結果がこのような事件を起こしてしまったのです。
能力主義社会で生きていくには、社会的な絶望感や経済的な苦境に直面しない事。人間関係の問題や心理的な苦痛を抱えない事が重要になってきます。
社会において、能力に基づく選別が行われる仕組みを正していくことが望ましいと考えています。そのためには一般市民が積極的に政治に参加することが重要です。
ただし、この視点は大局的・長期的な目標であり、同時に喫緊の課題にも取り組む必要があります。短期的かつ具体的な視点でメンタルケアに対処することも重要です。
メンタルケアについては、軽い落ち込みなどと軽く考えることなく、注意を払う必要があります。心の疲労が徐々に蓄積されていることに気づかないかもしれません。
問題に気づかない場合もあるかもしれませんが、もし自身の生活の中でストレスや困難を感じているのであれば、メンタルケアに対処することは非常に重要です。
皆様には、健康維持のために自己投資を行うだけでなく、メンタルケアにも配慮していただきたいと思います。自身のメンタルヘルスに気を配ることは、ビジネスにおいても効果的であり、より良い結果を生み出すことにもつながるのです。